水俣・永代橋跡

2010年10月09日

以前の水俣川の流れは今の湯出川に沿ったものではなく久木野方面から流れる
水俣川に沿った流れで、現在の医療センターやエムズシティあたりを流れていたといいます。
度重なる水害で川の流れを変更、今の市役所・第一小学校・八幡神社沿いになったといいます。
水俣・永代橋跡

その以前の水俣川沿いにかかっていたのが浜町、史跡・永代橋です。

太鼓橋で浜地区と江添地区を結ぶ重要な端であったとされますが、
水害による河川工事に伴いその名前とは裏腹に姿を消すことになりました。

古くはこの地区(というか海岸でした)に豊臣秀吉が上陸したとか、
ここから以前ご紹介しました源光寺に近いことから、西南戦争のときは政府軍が上陸、
源光寺に駐屯したとの記録も残っているいわば歴史の証人なのです。
水俣・永代橋跡
水俣・永代橋跡

すぐそばに徳富蘇峰・蘆花の生家もあってここ浜町は歴史の交差点といってもいいと思います。
水俣・永代橋跡
水俣・永代橋跡


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水俣・永代橋跡
水俣市浜町1-3



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Posted by メタボ at 12:13│Comments(1)史跡

この記事へのコメント

こんばんわ。
私は水俣出身で今は出水市の麓武家屋敷群に住んでいて武家屋敷の管理もしているおじさんです。
私も浜町にあった永代橋に興味を持っていて10年以上前から調べていて、最近「水俣の歴史と風景」という冊子も作り、水俣の知人に配りました。江戸時代から昭和までの水俣の風景や歴史をまとめたものです。チッソや河川改修前の永代橋の写真などもたくさん集めました。
水俣で95歳以上の人なら永代橋を見たことあると思いますが、そんな人にも当時の話を聞きたいです。
Posted by 西濱 義昭 at 2019年08月07日 19:12
 
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