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Posted by おてもやん at

水俣八幡神社と猫

2010年11月24日

みなさんこんにちは。
水俣が大好きなメタボこと猫のブブ丸です。
八幡神社には亀だけでなく
猫ちゃんたちもいまして仲良くひなたぼっこしていました。
「うっ」こま犬さんに2匹いました。狭いところに・・・


ここには3匹、気持ちよさそうに陽を浴びて眩しそうに目をつむっています。


気持ちのいい暖かい日差しが降り注ぎます。


帰ろうかとしてバイクを少し動かしたらまた1匹出てきました。
これは大きいぞ、ボス猫かもしれませんねo´∀)σ【゜+.゜コニャニャチワー゜+.゜】



可愛いですね~、猫好きとしては充分に癒されました。
また来るからね、元気にしていておくれ($〶∀〶)ニャン


水俣八幡神社
〒867-0061
熊本県水俣市八幡町3丁目3−1

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Posted by メタボ at 11:41Comments(0)史跡

水俣・徳富蘆花公園

2010年10月14日

水俣市営洗切住宅水俣市営洗切住宅その2で紹介しました市営洗切住宅の隣にあります蘆花公園を紹介します。

蘆花は徳富蘇峰蘆花兄弟の弟にあたり小説「不如帰」の作者でもあります。

お兄さんの淇水文庫跡・市立蘇峰記念館は市役所の前にありますが蘆花公園は生家の近くにあります。
蘆花の本名「健次郎」になっています。蘇峰ともども名誉市民です。






隣の市営住宅からの借景が羨ましくさえあります。



小学生の時当番で校長室の清掃を初めてすることになった時に校長先生の大きな椅子の後ろに
徳富蘇峰・蘆花の大きな写真が飾ってあったのを思い起こします。
兄、徳富蘇峰です。

弟、蘆花です。


水俣の誇りですね。
文芸春秋によれば「頼山陽・徳富蘇峰・司馬遼太郎」日本人の生き方に大きな影響を与えた3人とありました。
水俣人はもっと誇りに思いもっと実感していいと思います。


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市営洗切団地№1の川向です。  

Posted by メタボ at 16:58Comments(0)史跡

水俣・永代橋跡

2010年10月09日

以前の水俣川の流れは今の湯出川に沿ったものではなく久木野方面から流れる
水俣川に沿った流れで、現在の医療センターやエムズシティあたりを流れていたといいます。
度重なる水害で川の流れを変更、今の市役所・第一小学校・八幡神社沿いになったといいます。


その以前の水俣川沿いにかかっていたのが浜町、史跡・永代橋です。

太鼓橋で浜地区と江添地区を結ぶ重要な端であったとされますが、
水害による河川工事に伴いその名前とは裏腹に姿を消すことになりました。

古くはこの地区(というか海岸でした)に豊臣秀吉が上陸したとか、
ここから以前ご紹介しました源光寺に近いことから、西南戦争のときは政府軍が上陸、
源光寺に駐屯したとの記録も残っているいわば歴史の証人なのです。



すぐそばに徳富蘇峰・蘆花の生家もあってここ浜町は歴史の交差点といってもいいと思います。




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水俣・永代橋跡
水俣市浜町1-3  

Posted by メタボ at 12:13Comments(1)史跡

水俣八幡神社と大相撲

2010年10月03日

水俣と亀の記事に水俣八幡神社を紹介しました。
その八幡神社の敷地には相撲の土俵があります。

この土俵で昭和40年代まではお正月の2日の日に水俣巡業が長い間行われていました。

大鵬・柏戸・栃錦・若乃花などの雄姿も正月早々見れました。
地図で言えば水俣市立武道館との間にあります。

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大きな足場を組んですり鉢状の観客席を作り大勢で大声で大相撲を観戦する。
水俣や近隣の町の方のお正月の楽しみだったんですよ。  

Posted by メタボ at 15:15Comments(0)史跡

水俣八幡神社と亀

2010年10月02日

水俣・八幡神社です。

〒867-0061
熊本県水俣市八幡町3丁目3−1

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右が「あっ」狛犬さん

左が「うっ」狛犬さん

小学校の全体朝礼の校長先生のお話。
「人は「おぎゃあ~(あっ)」と生まれてきて「うっ」と言って人生を終える。狛犬さんはその象徴」
狛犬を見ると必ずこのお話を思い出します。

この神社には亀にまつわる珍しい石があります。
「銭亀石」です。


故事によると水俣は亀に縁があるようです。
「光仁(こうにん)天皇の時代、水俣で白い亀が発見され「これは珍しい」として、朝廷に献上したそうです。すると天皇はたいへん喜ばれ、元号を「宝亀」と改められた」という記述があるそうです。

以前はこの珍しい石の前に池があって亀が泳いでいましたが今は別に大きい池に移されて伸び伸びと甲羅干しをしたりや泳いだりしていました。

子亀の上に親亀が乗っかってるように見えますが・・・

この亀の中に高2息子が小1の頃、通学途中の線路を歩く亀を発見保護した亀がいるはずです。
息子が亀を発見保護した踏み切り周辺

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その亀くん、学校にそのまま持っていくとたちまち人気者に。
夏休みなどはお世話をしたいという希望者が多く持ち回りになるほどの人気者でしたが、そのうち水槽には入れきらなくなったということでこの八幡神社の池に仲間入りということになりました。

亀は万年生きると言います。きっとまだ生きてるはず。
この亀の中にあのときの亀くんがいるはずだ。
「お~い、元気にしてた~?」と全部の亀に声をかけた私でした。



帰りに鳥居の下に黒ヘビを発見!!これは縁起がいいとばかりに「ご利益を祈念」した私でした。
  

Posted by メタボ at 15:14Comments(0)史跡

フィッシングパーク・ドンガバチョ号と寝仏観音像。

2010年10月01日


 

とんとん峠から湯の児温泉に下りた所からの画像です。




不知火海:右手前に確かふるさと創生資金で整備建造したフィッシングパークとドンガバチョ号が見えます。



ふるさと創生資金建造された船に対し市内外から多くの命名のアイデアがあり圧倒的多数の賛成で
「ドンガバチョ号がいい」となったものの著作権者「ひょっこりひょうたん島」の先日お亡くなりになられた
井上ひさしさんに名称使用の許諾の交渉し一言で了解を得たと言う水俣市民にとっては命名も船も釣りにも嬉しい企画・設備・施設なのです。

そして不知火海を挟んで御所(の)浦島あたりの島の形が「寝仏観音像」になっているのがわかりますか?
温泉に入って美味しい料理を食べて夏でしたら海で遊んで「寝仏観音像」を眺め心を慰め癒す、
それが湯の児温泉の楽しみ方のひとつのようです。
熊本百景の人気のひとつです。

今日はいまひとつ曇っていました。
またいつか完璧な「寝仏観音像」をお届けしますね。

フィッシングパークとドンガバチョ号

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御所浦島

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Posted by メタボ at 15:57Comments(0)史跡

史跡1 源光寺・薩摩部屋:かくれ念仏の部屋

2010年09月23日

水俣が生んだジャーナリスト徳富蘇峰・蘆花の生家の近くにあるのが
「史跡 源光寺・薩摩部屋」です。
  


古くから薩摩を支配していた島津氏は、慶長年間(1596~1615年)から浄土真宗(一向宗)を厳しく禁止しました。
なぜならば、豊臣秀吉の朝鮮出兵に従って朝鮮半島に渡っていた17代・義弘のときに、
薩摩領内で「伊集院騒動」という事件が起き、浄土真宗の僧や信者が関係していたと考えたためです。

   念仏を唱えることを禁止し、浄土真宗の僧や信者を捕らえては、死罪または流罪に処すなどの厳しい刑罰をあたえました。
このため、肥後との国境付近の信者たちは、密かに国境を越えて肥後に入り、信仰を求めたといわれています。
その当時は薩摩出水の信者たちをはじめ、遠く離れた村々からも、信者たちが山や畑にでかける姿のまま、
死を覚悟して水俣まで逃れたといわれます。

拝観料200円

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浄土真宗といえば親鸞、親鸞と言えば倉田百三の「出家とその弟子」、

「出家とその弟子」と言えば19歳の頃薦められて
一日で読んで自分のその後の生き方を変えた一冊です。
戦前戦後の青春の書でベストセラー。おふくろも若いときに読んだと聞いてびっくりしました。
「人は殺生しなければ生きていけない」「誰かに迷惑をかけるとわかっていても好きになってしまう」
「人が良いだけではつけ入れられる」
若者・人間の悩みに古いも新しいもないと思いました。
人生についての深い悩みを知りとその答えをこの本からたくさんいただきました。
お薦めの一冊です。ただ廃刊のようで手に入りません。こちらをどうぞ。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000256/files/1412_24371.html  

Posted by メタボ at 12:38Comments(0)史跡